舘長からのご挨拶 (Message from Sensei Kazunobu Tsubamoto)

[English]

  恩師である、日本剛柔流空手道(比嘉系剛柔流)四代目宗家 市川素水先生より

  日本剛柔流空手道の奥伝及び、日本交手道宗家の襲名を頂きました。

  日本交手道とは、恩師市川素水先生が、代々継承された剛柔流空手道に、

  生涯を懸け更に工夫研鑽を成した技の奥義であります。

  現在私は、恩師市川素水先生から継承した希覯の伝統武道を研鑽すべく、

  日々稽古を行っております。

                          - 士鍔舘 舘長   鍔本 和伸

 舘長 略歴

  ・1967年 4月        素水館入門
  ・1985年 8月        武備誌相伝(剛柔流空手道伝承者の証)
  ・1991年 1月        日本剛柔流士鍔舘創設
  ・2004年 1月        範士九段授与
                   (市川素水先生は生涯において範士九段を
                    千葉先生・須藤先生・鍔本の三名に授与)
  ・2000~2005年 3月迄  日本剛柔流空手道及び日本交手道を奥伝
                   (恩師、市川素水先生3月7日81歳にて永眠)
  ・2005年 2月 20日    日本交手道宗家十段襲名
  ・2005年 5月         市川派剛柔流空手道素水会発足

 

 武備誌の継承
  - 比嘉系剛柔流空手道の文化

  剛柔流空手道の伝承者として、市川素水先生60歳の昭和60年8月17日、
  沖縄伝武備誌に手形・印を押し、鍔本和伸へ授与。
  ※武備誌には、手形が非常に重要である。

     東恩納寛量先生   →    比嘉世幸先生    →   泉川寛喜先生
  武備誌  武備誌 比嘉世幸先生  武備誌 泉川寛喜先生

  →   市川素水先生   →     鍔本和伸
  武備誌 市川素水先生  武備誌 

  ・沖縄伝武備誌とは、東恩納寛量先生から高弟二名(宮城先生・比嘉先生)へ伝承。
  ・宮城長順先生は、第二次世界大戦における沖縄戦の戦火にて消失とのこと。
  ・比嘉世幸先生により、唐手武術を正しく継承させる為、授与者に写本させ、
   秘伝書として手形を押して伝承者の証とし残した。
  ・比嘉世幸先生より、泉川寛喜先生→市川素水先生→鍔本和伸と伝承。

  武備誌の伝承は、比嘉系剛柔流空手道のみで行われており、空手道文化として
  継承されている。

 

 市川派剛柔流空手道とは -

  「市川派剛柔流」は、恩師市川素水先生の最晩年である5年間において、
  師より奥義の伝授を受けた鍔本和伸が創設いたしました。

  「市川派剛柔流空手道」とは、交手道(市川素水先生創始)の体術を合わせた、
  剛柔流空手道です。

  市川素水先生は交手道相伝の際、交手道の命名について
  次の様に話されました。

   「交手道とは、手と手が交わる技(中にあり)として、交手道と命名した」

  この交わる技と技の中にこそ、口伝の「蛸」・「カマンタ」が存在し、
  空手道修行において師の独自技として確立されたものでした。

 交手道伝授とその直伝について -

  市川素水先生は剛柔流十型を通して、古来より口承されてきた唐手(空手)を、
  実践で確認し研鑽されました。

  その実践技の集大成を『交手道』と命名し体系づけ、
  『市川の極意書』として残されました。
  そして、素水館内に「大日本交手道研究会本部」を設置し、
  師範および師範代を対象とした特別稽古(無漏会)を発足。
  交手道を直伝されました。
  (1976年7月17日、無漏会発足。「基本八つの手」から指導開始)

  しかしながら、およそ20年に渡り続いた無漏会においても、
  交手道を真から理解できる門弟を輩出することはできず、
  やがて無漏会は立ち消えてしまいました。

  年月が流れ、数年ぶりに素水館道場を訪ねた時のこと、
  市川素水先生は次のように話されました。

   「交手道は、弟子に出来るものがいなければ、己一人のみの技となる」

  つまり、交手道は一代で終わるという意味です。

  私は、「それではあまりにも勿体無い事です」と、
  相伝稽古のお願いをいたしました。
  すると、市川素水先生は即座に、自ら素水館の看板を外すとともに、
  「これからは門弟を取らない。鍔本に命がけで奥義を教える」と決心くださいました。
  市川先生が亡くなる日から5年ほど前のことです。

  その日から五年間に及ぶ一対一の相伝稽古が始まりました。
  数人の高弟のみを稽古補佐とし同席を許し、
  2005年3月7日に81歳で亡くなる前日まで続きました。

  2005年2月20日には素水館本部道場にて、千葉拳二郎先生、素水館高弟ご同席のもと、
  私は市川素水先生より交手道宗家(市川空手)を正式に託されました。

 市川派剛柔流空手道、相伝稽古を始める -

  2012年に市川素水先生の七回忌法要を行うまでの間、
  市川派剛柔流空手道の身体基本作り完成のための指導に重点を置き、
  日々の稽古を行ってまいりました。

  そして、同年8月より士鍔舘本部道場に於いて、
  市川派剛柔流空手道における技の相伝を開始いたしました。

 市川素水先生の相伝稽古への願いと思い

  市川素水先生がお亡くなりになる前年の2004年12月5日、
  素水先生は私に相伝稽古の代稽古を依頼されました。
  素水先生から五段以上の免状を授与されている直弟子であり、
  武備誌(素水先生の手型と捺印のある正式な物)を授与された
  直弟子のことです。
  この時、素水先生による高段者への稽古継続を通して、
  生涯空手指導者としての弟子への愛情を深く感じました。

 伝統ある素水舘道場継承に付いて

  素水先生がお亡くなりになられた翌年の2006年2月7日、
  千葉先生(:現全日本剛柔流空手道連盟会長)より私に、
  素水舘道場名継承を考えないかとのご相談がありました。
  しかし、素水先生から託された思いも有り、お断り致しました。
  素水先生は生前、生涯を空手に懸けて修行・指導してこられました、
  素水舘道場について、「私一代」と仰せられておりました。
  何故なら、五十年以上におよぶ指導を通して多くの弟子が
  稽古に励むと共に、多くの問題も度々起こっていたからです。
  素水舘道場を継承するということは、同時にそれら多くの問題も
  背負うと言うことであり、正しい空手修行が出来ず、
  良い修行場では無いということが事の真意です。
  私は、素水先生の交手道及び日本剛柔流空手道の秘儀継承と
  指導の場として、素水会を立ち上げました。
  同時に交手道と日本剛柔流空手道を合わせることで市川派とし、
  市川派剛柔流空手道士鍔舘として相伝稽古を行っております。

 士鍔舘 - 十牛図解説・拳禅一致の世界

  十 牛 圖 頌

  1、尋 牛

    これは、悟りを求めて、修業を始めたが、何が悟りなのか、いわゆる暗中模索、
    苦心惨胆、何が何やらわからずに、悟りを探し求める圖です。悟りを牛にたとへて、
    この浮世を、けわしい山中にたとへ、本人を童子にたとへて、のどはかわき、
    腹はへり。足は痛い。へとへとになって「悟りの牛」が何所に居るのやらがむしゃらに、
    夢中になって、ほつき歩いていることこの圖です。
    --われわれは、今この世界にマゴマゴしています
    尋牛

  2、見 跡

    童子は、あてもなく山中をほつき歩きしている時、ふと道の上に、牛の足あとを
    発見します。これが、はたして「牛」つまり悟りの入り口がどうかは不明ですが、
    とに角牛の足あとをたどります。足あとは、見へたり、消へたり、ここが悟りへの
    一番大切な所です。
    何やら心に感じが出来たり、消へたり、ここでみんなは、道をすててしまいます。
    このわづかな光りらしき牛の足あとを足も手もくたくたにふって探しながら追って行く
    修業の、禅堂で座禅の苦しい最中です。
    見跡

  3、見 牛

    光が、ぽっと胸に入った感じです。苦心惨胆、山の中を足あとをたどる中に、
    ふと岩かげに牛の私利が見へた。それが、わが求める牛であるか、とに角牛
    らしきものの、尻と尾しか見えぬ。けれども、そうらしい。どうやら、悟りの手がかりが、
    みつかった。牛の尻は、岩のかげ木のかげに見へたり見へなかったりする。
    悟りの曙光がみつかった。おぼつかなくとも悟りの道への入り口がみつかった。
    これが、うその入口か、うその牛の尻か、早のみこみにきめたがるのが、われわれの
    欠点だ。
    見牛

  4、得 牛

    ついに牛を発見、その牛を自分のものにする為には、つかまえなくてはならぬ。
    その牛をつくづくと見ると、牛とは、自分の心であった。人間の身の心が、迷ひや、
    邪悪のかたまりである如く、牛は、野生の本性、荒れくるっている。
    つかまへようとすれば、あばれまわる。どうにも、自分の自由にならぬ。
    ここで修業は自分の心との戦いになる。或る時は負け、或る時は勝ち。
    まったくへとへとになる。
    修業の一番苦しい時だ。ひどい時は、牛が見へなくなる。また第一尋牛へもどる。
    それどころか、修業をやめたくなる。つかまへたと思っても、それは牛でなくて、
    そばの木の株だったり、岩だったりする。とうとうつかまへた、首に縄をかけたが、
    これが探し求める牛だか安心出来ない。悟りをつかんだか不安だ。
    得牛

  5、牧 牛

    つかまへた牛を、手にかけて見る、牛は、ようやく、自分に馴れて来た。
    つまり自分で自分の心も身も、自分の自由になった。まがりなりにも悟りがわかった。
    悟りの世界に入ることが出来た。
    一人前の禅の人間に、そろそろなれたけれど、この上は修業を忘たらず、心の調子を
    ととのえる勉強をする。そして牛をひいて歩む。
    牛はおとなしく、自分のあとをついて来る。禅の修業の出来上がった姿である。
    牧牛

  6、帰牛帰家

    ついに牛の手綱をはなして、牛の背にのる。そしてわが心の家に帰って行く。
    わが、心の、つまり安定した心境に達した姿である。つまり、つらかった
    修業の世界から、平凡な姿の人間本来の姿へ帰って行く圖である。
    普通禅の達人と言うのは、この世界であるが、逆も普通悟ったようなことを
    言っているのは、これがわかったような気がする狸狐禅者である。
    帰牛帰家

  7、忘牛存人

    牛に騎って家に帰ったが、さて家に落ちつくと、今まで苦しんでつかまえた牛を忘れて
    しまった。つまり、自分の外に悟りの牛がいると思ったが、今は悟の牛とは、自分の
    心の中に居るもので、外部に求めるものではなく、つまり本覚無為の家に帰れば、
    何もあくせくと心を使うことも、考へることもない只無事安閑、あたりには、
    無限の静けさ、悠々として自分の心を見入っている これぞ完全の禅の悟りの
    三昧境である。
    この世界までは、人間は到れると思うが、われ等にはとても考へも及ばない。
    そうなれたと思っても、それは思いあがりである。
    忘牛存人

  8、人牛倶忘

    さらに考へる。牛どころか、自己を忘れるに至った。即ち万物は一切空である。
    自分があると思うことすら迷ひである。
    そこで、影は只丸、円想だけを描いて、他何物も表わしていない。白紙である。
    禅宗が始まって以来、この世界まで到った人は、或は無いかもしれない。或は名僧の
    二三人はあろうかもしれないが、まづまづそんな形をして見せるだけかもしれない。
    人牛倶忘

  9、返本還源

    人間の本来の姿は、清浄なもので、煩悩忘念など一切なく、春は花咲き夏は緑に、
    秋の紅葉、冬は白雪の陽は空に輝き、月は夜空に澄む。
    この目前の世界の姿は諸法実相なり。人間が修業の末に於いてこれを悟り、
    この実感から、その実相を心身に具現した姿の世界である。
    返本還源

  10、入廓垂手

    更に進んで、自己のみでなく、利他の心から、仏本然の思想から、慈悲の手を垂れ
    衆生済度の為に、市井の(廓)巷に出ていく。徐は布袋様が腹を出して子供たちと
    遊んでいる圖。
    この世界は、もはや仏さまの世界とも言へるが、宗教家が、考へねばならぬ
    世界である。
    物を教へる先生となん申すものもよく考へてみることは必要の世界である。
    入廓垂手

  十牛図頌—禅の思想。修業の段階を、悟りを牛にたとへて、絵によって現したもの。
  支那宋の時代の僧、廓庵師遠が考へ出したもの。
  第五の牧牛までは、修業次第で、進んだり、戻ったりで、到達できても、第六牛で、
  巧なり名とげて、まずまず悟れたとしても、自分の生活に、また、技術に目を
  つむっていても自由に、思いのままにやれる境地に到る、達人の世界には、
  なかなか行けない。
  第七牛の世界は、技巧を忘れ、物ごとに拘捉されず、天真爛漫な心境で、
  無念無想でやれる、いわゆる、名人、達人の技の心境。一見すれば上手か
  下手なのか、わからぬ世界まで入った人。
  第八牛は、何も表現しない、白い紙に丸が描いてあるだけ。この白紙の世界は、
  武にしても、芸にしても、この余白が、所謂「間」である。この「間」の取り方で、
  その武なり芸なりが、上級なものか下級なものか、つまりここで、その人の
  「味」が決まる。武でも芸でも、この世界を悟った、それが到達点の極地である
  悟道の最後の世界である。
  第九牛、第十牛の世界は、われわれには、理想境で、今説明しても役に立たない。
  そもそも禅の世界は、すべてが精神的な、静かな観照の世界のものであるが、
  第一牛から、第八牛の世界まで、ほんとは現実的世界の実践の世界である。
  学問や理屈の世界ではない。
  身をもって、戦い取る、修業である。その修業の世界から、第八牛に入り、
  第九牛に到れば、武も芸も象徴の世界に入る。禅で言う「無」の世界とは、これだ。
  言葉を変へて言へば、「無の心」日々言い難い境地だ。この「無の心」は
  宇宙の実在にある。
  この「無」を表すために、その武、その芸は象徴の形をとる。技も術も何もない。
  その上の、その上の「心」—その「心」は、現実に実在して、事に当り、物に即して
  働き形を取る。
  一見何のことやらわからぬ形をとって働く。象徴とはこのカタチである。
  この形を表現したのが、「武の型」である。これが士鍔舘の求める、
  空手の「型」の姿である。
  昔の人は、これを知ってか知らずか、空手の型をいくつか作った。そしてその型は、
  立派な象徴的な形を作り上げた。この「型」を悟り空手は「組手・実践」に応用する為に
  「型」を分割して、その一手一手に説明づけて、教へる。それは正しい教へ方である。
  けれど、それは三段四段の子供たちの世界で、五段六段の世界のものには、
  その説明は、武芸の俗化である。型の業を汚すものだ。
  市川派剛柔流空手道士鍔舘が近来考へて居る「受身の型」は、「型」の到達するべき
  世界のものだ。この象徴の世界のものを、説明でなく「心」にわかるまで正しい稽古を
  すべきです。

                                         説法者  普九禅師
                                         資料提供 市川素水
                                         監修    鍔本和伸

 素水館稽古着 黒道着の起源について

  素水館の黒道着は、どの様に定着したのか? -

  今から53年前(1961年)、歌舞伎座で沖縄舞踊を沖縄舞踊オペラとして講演する催しが
  企画されました。その際に、市川先生は沖縄舞踊の後ろで空手の演武を行って
  もらえないかと依頼を受けました。
  依頼主が恩師泉川先生の沖縄時代の友人であったため、市川先生はこれを引き受け、
  須藤・大塚両先生とその他数名の弟子の出演が決まりました。

  その演武の際に、顔に塗ったどうらんが道着に付着し、洗濯をしても落ちない状態と
  なってしまいました。当時まだ大学生だった須藤・大塚両先生等は、道着の新調も
  ままならない為、市川先生に道着の上着を紺色に染めさせて頂きたい旨を願い出、
  市川先生はそれを許しました。こうして素水館の紺色道着が生まれました。

  また、当時市川先生は一日中道着で生活をされていたため、道着の袖はボロボロに
  なっていました。
  見かねた奥様が、当時ひいきにしていた“かなや道着店”が置いて行った見本の
  黒帯の材料を用い、袖の修繕をしました。

  袖が黒色という、異色の道着を着用している市川先生の様子を、沖縄から度々
  稽古に立ち寄たった空手家が、「東京の市川は生意気な奴」と沖縄に帰り伝えました。
  やがてその話が恩師泉川先生の耳に入り、市川先生に沖縄の噂を話されました。

  市川先生はこの話を重く受け止め、思案されました。

  そして、「いっそのこと、道着を全部黒く染めてしまえ」と、道着を黒一色に
  染め上げてしまわれました。
  市川先生は、素水舘の指導員以上は、黒道着着用するというきまりを設けられました。
  当初指導員は道着の上着のみ、黒道着を着用することになりました。

  その後、段位レベルによって、黒道着が使い分けられるようになり、半黒(上着は
  黒道着、ズボンは白道着)は指導員、全黒(上下黒道着)は師範代とし、さらに後は、
  半黒は二段までの指導員、三段以上指導員からは、全黒道着として稽古する様に
  なりました(1962年春) 。 

  この黒道着は、門下生にとても支持されました。素水館の稽古は公園での稽古
  であり、当時の稽古日は 月・水・金・日曜日の黒帯稽古(朝・昼・夜)であったた為、
  土砂や血による道着の汚れを隠すにはとても都合が良いものでした。
  また、入門したばかりの弟子にとっては指導員がすぐに解るので、誰に教われば
  良いかが一目瞭然でした。
  そして何よりも、この黒道着が門下生の憧れの的となり、皆が一層稽古に精進する
  効果を生み出しました。

  ある日の事、忍者指導を行っている初見師範がこの黒道着に惚れ込み、忍者修行の
  稽古着に採用されました。現在の忍者の稽古着が黒いのも、元は素水館の黒道着が
  発祥という知られざるエピソードです。

  以上のとおり、黒道着は、市川先生の発案により生まれました。現在、世界の多くの
  武道家達が黒道着を愛用していますが、市川先生(素水館)が起源で有る事は、
  知られていない事実です。

 

私は、恩師である、日本剛柔流空手道(比嘉系剛柔流)四代目宗家 市川素水先生より
日本剛柔流空手道の奥伝及び、日本交手道二代目宗家の襲名を頂きました。
日本交手道とは、恩師市川素水先生が、代々継承された剛柔流空手道に、生涯を懸け
更に工夫研鑽を成した技の奥義であります。
現在私は、恩師市川素水先生から継承した希覯の伝統武道を研鑽すべく、日々稽古
を行っております。

 

 


 Message from Sensei Kazunobu Tsubamoto

  The late Grandmaster Sosui Ichikawa devoted his entire life to further
  developing and polishing the Goju-Ryu karate-do of the Miyagi – Higa lineage,
  and as a result, he created *Nihon Koshu-do, the esoteric
  and highest level skill of Goju-Ryu Karate-do.

  I was initiated into the highest levels of Nihon Goju-Ryu Karate-do
  and Nihon Koshu-do by Grandmaster Ichikawa, who appointed me
  SOKE (successor) of Nihon Koshu-do shortly before his passing in 2005.

  Grandmaster Ichikawa was the 4th generation (SOKE) of Nihon Goju-Ryu karate-do,
  which he inherited from the Miyagi – Higa lineage.

  I now work diligently to further develop and refine this authentic
  and highest level budo which Grandmaster Ichikawa entrusted to me.

               Kazunobu Tsubamoto, Kancho of Shigaku-Kan

 

 Sensei Kazunobu Tsubamoto – Major Dates and Developments

  April   1967  Began training at Sosui-kan(the dojo of Grandmaster Sosui Ichikawa).

  August 1985  Sensei Tsubamoto was bestowed with the Bubishi
            which has been passed down from Master to Disciple for generations
            as proof of succession in Goju-Ryu Karate-do.

  January 1991  Sensei Tsubamoto founded Shigaku-Kan.

  January 2004  Grandmaster Ichikawa awarded 9th Dan (Kudan) to Sensei Tsubamoto.

  2000 to March 2005  Sensei Tsubamoto was initiated into the esoteric levels
            of Nihon Goju-Ryu Karate-do and Nihon Koshu-do
            by Grandmaster Ichikawa.

  On 20th February 2005, appointed SOKE (successor) of Nihon Koshu-do
            by Grandmaster Ichikawa.

  Grandmaster Ichikawa passed away on 7th March, 2005, aged 81 years.

  May   2005  Sensei Tsubamoto founded Ichikawa-ha Goju-Ryu Karate-do Sosui-Kai.

  * Nihon Koshu-do, was created and named by Grandmaster Sosui Ichikawa.
   It is the name of his art.  It is a development of Goju-Ryu
   beyond the Miyagi – Higa lineage,
   and includes Grandmaster Ichikawa’s own research, development and teachings.

 

 The succession of Bubishi

  - This is the culture of the Goju-Ryu Karate-do of the Higa lineage.
   On 17th August 1985, at age 60 years, Grand Master Sosui Ichikawa bestowed
   the Bubishi on Sensei Kazunobu Tsubamoto, with his hand print, and by
   affixing his seal.
   This is the proof of succession of Goju-ryu karate-do.
   (※The master’s hand print is most important in Bubishi.)

  ・Bubishi which is tradition of Okinawa was passed down from Sensei
   (Patriarch) Kanryo Higashionna to his top two disciplines: Sensei Chojun
   Miyagi and Sensei Seko Higa.
  ・Sensei Chojun Miyagi said his Bubishi was burnt during the War in Okinawa.
  ・From Sensei Seko Higa, Bubishi was meant, with the master’s hand print, as
   the proof of the succession.
   Sensei Seko Higa had his disciples who were bestowed Bubishi make personal
   hand written copies of the manuscript, Bubishi is the textbook of secrets
   for correct and proper succession of Karate Bujutsu.
  ・From Sensei Seko Higa, Bubishi passed down to Sensei Kanki Izumikawa,
   Grand Master Sosui Ichikawa, then to Sensei Kazunobu Tsubamoto.

  The concept of succession of Bubishi is only alive on the Higa lineage of
  Goju-Ryu Karate-do, and Bubishi has been passed down as the culture of
  Karate-do.

 

 Ichikawa lineage Goju-Ryu Karate-do is

  ” Ichikawa lineage Goju-ryu ” was founded by Sensei Kazunobu Tsubamoto
  who received the secret techniques from Grandmaster Sosui Ichikawa
  during the last 5 years of his life.

  ” Ichikawa lineage Goju-Ryu Karate-do ” is a Goju-ryu Karate-do
  with Koushudo technique (the esoteric and highest level of hands skill)
  which was created by Grandmaster Sosui Ichikawa.

  When Grandmaster Sosui Ichikawa passed on the Koushudo
  to Sensei Tsubamoto, he explained to him the meaning of Koushudo,
  ” the skill of crossing hands.”

  In this technique, there are ” tako ” (the technique where the hands
  are touching each other, freezes the opponent’s movements.),
  ” kamanta ” (the technique used to control the distance between an opponent.).
  Grandmaster Sosui Ichikawa developed this technique
  during his devoted hard training.

 

 THE SUCCESSION OF KOUSHU-DO AND DIRECT INHERITANCE

  Grand Master Sosui Ichikawa experienced,
  developed and refined the authentic karate taught orally
  from the ancient 10 katas (patterns) of Goju-Ryu.

  He named his new comprehensive unique
  and original techniques ” Koushu-do.
  This is ” The Legacy of the Innermost Secrets
  of Grand Master Sosui Ichikawa. ”

  He established the ” Headquarters of Society for the study
  of Japanese Koushu-do ” in Sosui-kan dojo
  and started an exclusive training class (which was called Murokai)
  for Shihan level martial artists and personally trained them.
  (On 17 July 1976, Murokai was founded.
  The training started from ” 8 basic hand techniques “)
  But after 20years of training in Murokai, no one could completely
  master the techniques of Koushu-do and eventually Murokai faded away.

  Several years later, when I visited Sosui-kan dojo,
  Grand Master Sosui Ichikawa told me
  ” Koushu-do will only be my technique
  because no disciple could master this one “.

  That means Koushu-do will finish in one generation.
  I told him ” that is regrettable ” and asked him if he could teach me.

  Suddenly Grand Master Sosui Ichikawa took off his Sosui-kan dojo’s
  signboard and said to me, ” I will no longer have any more disciples.
  From now on, I will devote the rest of my life to teach you
  this special technique of Koushu-do.”

  Starting from that day, special personal private training in Koushu-do
  was given by Grand Master Sosui Ichikawa to me
  and a few highly skilled Goju-Ryu Karate-do disciples
  which continued for the next 5 years until just one day
  before his passing at age 81 on 7 of March 2005.

  On 20 February 2005, I was appointed SOKE (a successor)
  of Koushu-do (Ichikawa Karate) by Grand Master Sosui Ichikawa
  attending with Sensei Kenjiro Chiba and other disciples
  of Sosui-kan at Sosui-kan headquarters dojo.

 

 ICHIKAWA GOJU-RYU KARATE-DO STARTS TRAINING
  THE NEXT GENERATIONS TO INHERIT.

  Until 7th death anniversary ceremony of Grand Master Sosui Ichikawa in 2012,
  I focused to teach both physical and mental basic development
  of Ichikawa lineage Gojyu-Ryu Karate-do and devoted to train hard everyday.

  On August 2012, I started to teach the special unique technique
  of Ichikawa lineage Goju-Ryu Karate-do at Shigaku-kan headquarters dojo.

 

 Hopes and thoughts of the succession training
  of Sensei Sosui Ichikawa

  On the 5th of December 2004, one year before Sensei Ichikawa
  passed away, he asked me to succeed him in training of his disciples.
  This is only for direct disciples who have achieved certification
  above the 5th dan and Bubishi (proper one with his hand print
  and name stamp). At this time, I felt his deep love for his disciples
  and his life long commitment as a real karate teacher.

 

 About succession of traditional Sosui-kai Dojo

  On 31st of January 2006, one year after Sensei Sosui passed away,
  Sensei Chiba (recent chairman of Zennihon Gojyu-Ryu Karate Do Renmei)
  asked me to think about the succession of Sosui-Kan Dojo’s name.
  But I refused because Sensei Sosui trained so hard for all his life
  and told us Sosui Dojo is only for my generation. The reason he said
  that was even though many students have been training hard they also
  had many other issues over 50 years. Succession of Sosui-Kan Dojo
  also means succession of many issues. The situation was not a good
  environment for the disciples to learn and train properly.
  I established Sosui-Kai as succession of the hidden techniques of
  Sosui Sensei’s Koshu-Do and Nihon Gojyu-Ryu Karate Do. I also combined
  these two techniques as Ichikawa-Ha and now I’m doing succession
  training as Ichikawa-Ha Gojyu-Ryu Karate Do Shigaku-Kan.

 

Jyugyu-zu

  1. Serching for a cow

    This picture of a young boy starts to train to attain enlightenment but
    he doesn’t have any idea and blindly keeps searching and struggling.
    The story describes a cow as enlightenment, the rugged mountain
    as this world and the young boy as himself.
    He is thirsty, hungry and his legs are painful.
    The young boy is very exhausted but still absorbed in searching
    for a cow and walking around frantically.
    – We are struggling in this world now.
    Serching for a cow

  2. Finding foot steps of a cow

    When the young boy is blindly searching and walking around
    the mountain, he found foot steps of a cow.
    He is not sure this is a clue for finding a cow (enlightenment) or not
    but follows these foot steps.
    These foot steps sometimes appear and sometimes disappear,
    this is the most important part for enlightenment.
    Sometimes people have positive feeling but sometimes those feelings
    disappear and most of the poeple give up to find a way.
    Following the cow’s foot steps even with little hope to find
    enlightenment is the most hardest part of Zen training.
    Finding foot steps of a cow

  3. Finding a cow

    He has hard times searching for the cow’s foot steps
    and walking around the mountain.
    Amazed, suddenly he saw a cow’s bottom behind a rock.
    Is that a cow he is looking for?
    He can see only bottom and tail.
    But that must be it.
    Anyway he found the key for enlightenment.
    The cow’s bottom is coming in and out behind the rock and the tree.
    He found a hope for enlightenment.
    He is uncertain but found the path to enlightenment.
    Is this a false path of false cow’s bottom ?
    Hasty decisions are the biggest mistake.
    Finding a cow

  4. Catching the cow

    Finally he found the cow. He must catch it to make it his own.
    As he observed the cow carefully, he realized the cow
    and his mind are similar.
    The cow is very wild and rough with the confused
    and vicious spirit of a human mind.
    When he is trying to catch the cow, it becomes mad
    and he can’t possibly control it.
    This becomes a training experience for conflict within himself.
    Sometimes lose sometimes win.
    Completely exhausting.
    This is the most hardest part of this training.
    In the worst time, he even can’t see the cow
    and has to find the cow again.
    Rather he wants to quit this training.
    Even if he thought he could catch the cow,
    that is not the cow but only a trunk or a rock.
    Finally he catches the cow and puts a rope around it’s neck,
    but he is not sure this is the cow he has been looking for.
    He is perplexed whether this is enlightenment or not.
    Catching the cow

  5. Letting the cow loose

    He looks at the cow which he caught.
    The cow is getting use to him.
    This means he can control himself physically and mentally.
    Not completely, but he understood enlightenment.
    He could enter the world of enlightenment.
    He could become an expert Zen monk but still has to keep training
    and studying to control his mind.
    He is pulling the cow and walking.
    The cow is following him quietly.
    This vision is completion of Zen training.
    Letting the cow loose

  6. Going back home

    Finally he takes a rope off from the cow and rides on the cow.
    And he is going back to his home.
    This is the picture of reaching the calm mind.
    That means, after hard training he is going back to
    ordinary human nature.
    Usually an expert Zen monk is like this.
    But Zen monks who are talking big about enlightenment
    are not genuine, only they think they are.
    Going back home

  7. Forgetting the cow

    When he came back to his home, he forgot about the cow
    which he had a hard time to catch.
    He thought the cow (enlightenment) was somewhere outside
    but now he knows the cow (enlightenment) is in his mind.
    No need to search outside, without any warries or having a hard time.
    Very peaceful, silent and calm, he is in deep contemplation.
    This is an ultimate Zen enlightenment.
    This level is difficult for us to achieve.
    If we think we did, it is only in our mind.
    Forgetting the cow

  8. Forgetting himself and the cow

    He keeps thinking. He forgot not only the cow but also himself.
    In the other words, everything is empty.
    Even your existence is your illusion.
    So this picture is only a circle and not showing anything. Just blank.
    Since Zen Buddhism started, no one has reached this point.
    Maybe 2 or 3 monks had an illusion that they have reached this level.
    Forgetting himself and the cow

  9. Going back to the original

    Human-being’s original nature is pure and has no illusion.
    Flowers in a spring, greens in a summer, colored leaves
    in an autumn, white snow in a winter and a shinning sun
    in the sky and the moon in the night.
    Whatever he can see is the truth of this real world.
    After hard training of enlightenment, he can see the truth
    of this real world through his pure heart.
    Going back to the original

  10. Showing mercy

    The next level is not only thinking of himself but also thinking of
    others which is the philosophy of Buddhism, he goes out to show
    mercy and help others.
    This is a picture he is showing his belly and playing with children.
    This world is the Buddha’s level.
    Any religious monks have to think about this.
    Also this is very important and necessary for teachers.
    Showing mercy

  10 pictures of the cow _ _ _ Zen Buddhism philosophy.
  Showing picture of the training of attaining enlightenment step by step
  using the cow as enlightenment.
  廓庵師遠 (kakuanshien), a monk in 支那宋 (shinasou) era,
  made this pictures.
  No 1-5: depending on the training, sometimes advancement
  and sometimes not.
  And then you reach a point and No6: almost attain enlightenment
  but still unable to control your own life freely and reach an expert level.
  No7: forget about skills,techniques and restrictions, and having pure
  and innocent mind … this is an expert level.
  But it is hard to tell you are a real expert of not.
  No8 is no description, just blank circle.
  This blank means “interval (ma)” for martial arts and arts.
  How to use this “interval (ma)” is the key to perform either good
  or bad in martial arts and arts.
  This is the final stage of attaining ultimate enlightenment
  in martial arts and arts.
  No9&10 level are an utopia for us and you are not ready to
  understand this level yet.
  Someday whenever you are ready, I will talk about this.
  Precisely Zen world is very spiritual and calm.
  No1-8 are practical world, not theoretical and academic.
  By yourself, you gains through physical training.
  After this training, you enter No8 and reach No9,
  you can become a symbolic level of martial arts and arts.
  This is the “Zero (mu) ” world in Zen.
  In other words, “Zero mind (empty mind)”.
  And “enpty mind exists in the universe.
  Showing this Zero (emptiness), martial arts
  and arts use their symbolic styles.
  There are no techniques or skills.
  More than techniques and more than skills “mind”_ _ _
  that “mind” exists in reality and whatever things happen,
  the mind deals with anything.
  We can’t understand what kind of style the mind does,
  but this is a symbolic style.
  And “martial arts katas ” are the same as this.
  These are the “katas ” of karate which I am seeking.
  Former martial artists, either knew them of not,
  they made katas for karate.
  And those katas made excellent symbolic styles.
  To use the katas for kumite, you divide the katas into pieces
  and explained one by one technique and teach accordingly.
  This is the right way to teach 3rd or 4th dan children.
  That explanation is inappropriate for 5th or 6th dan students
  in martial arts.
  It will spoil the nature of katas.
  The teacher is thinking very high levels of defensive kata.
  True kata is like this.
  You must not to explain in the words or by dividing kata into pieces.
  Instead, you should leave this kata until your students understand
  in their mind by themselves.

                         Preach        Fukyu-Zenshi
                        Provision of Data  Sensei Sosui Ichikawa
                        Supervisory     Sensei Kazunobu Tsubamoto
                        Translation      Yuki & Chris Takashiba

 

 KARATE UNIFORM OF SOSUIKAN
  ABOUT THE ORIGIN OF THE BLACK KARATE UNIFORM

  Interesting story of Sosuikan’s black karate uniform

  53 years ago (1961), Okinawa Buto (Okinawa traditional dance) was performed
  as Okinawa Buto Opera at Kabukiza (Kabuki theater) in Tokyo.
  Master Ichikawa was invited to perform karate for this event. He accepted
  this invitation because this offer was from his friend in Okinawa.
  Sensei Sudo, Sensei Otsuka and several other students joined and performed
  karate with him.

  When they performed karate, their thick and heavy face make up stuck on their
  karate uniforms and didn’t go away even after washing.
  Sensei Sudo, Sensei Otsuka and others were university students at that time
  and couldn’t afford new karate uniforms.
  They asked Master Ichikawa to dye their karate uniforms to dark blue.
  He accepted and Sosuikan’s dark blue karate uniform was started.

  At that time, Master Ichikawa was wearing karate uniform all day and his karate
  uniform’s sleeves were torned out. His thoughtful wife used some samples of
  black belt materials from his favourite ” Kanaya karate uniform store” and
  repaired his karate uniform’s sleeves.

  One day, martial artist came form Okinawa to join the karate training at
  Ichikawa dojo. After he saw Master Ichikawa was wearing the black sleeves
  karate uniform, he went back to Okinawa and told his friends ” Mr. Ichikawa
  in Tokyo is very cheeky guy “.
  Later on, Master Ichikawa heard this story from his master Izumikawa.

  Master Ichikawa was very seriously thinking about this issue.

  He decided to dye the entire karate uniform black.
  Master Ichikawa made a rule that whoever is above the instructor level
  at Sosuikan is to wear black karate uniform. Only the top of the Karate uniform
  was black at this time.

  Later on, he changed this rule to black top & white bottom karate uniform for the
  instructors and black top & bottom karate uniform for masters. And again, he
  changed this rule to black top & white bottom karate uniform for below 2nd dan
  instructors and black top & bottom karate uniform for above 3rd dan instructors.
  (spring in 1962)

  His students supported this black karate uniform very strongly. Because Sosuikan
  karate training were at the park on Monday, Wednesday, Friday and Sunday
  (morning, day & night) and the black karate uniform was good for dirt, mud,
  blood, etc.. It was also easy for the new students to find the instructors.
  But most of all, students dream to wear the black karate uniform and train hard
  to wear this one day.

  Not many people know this but after Master Hatsumi who is teaching Ninja skills
  saw this black karate uniform, he loved it and adopted it for his Ninja training.
  This is how black Ninja training uniform was started. (Ninja wears black for long
  time but not Ninja training uniform).

  So the black karate uniform started by Master Ichikawa’s idea.
  Many martial artists are wearing the black Karate uniforms all over the world
  today but not many people know the history behind this story.

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